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少女革命ウテナ - (あと 笑う、わらわぅ)

新年度を迎え、既にGWが待ち遠しいこの頃、皆様如何お過ごしでしょうか

私自身は生活はほどほどに、少し古いアニメを毎日見ておりました。

少女革命ウテナ」です。

少女革命ウテナは1997年に放送された全39話のアニメ作品であり、先程少し古いと申しましたが、今も熱狂的なファンも多く、今見ても色褪せない作品でございます。

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まあ私は普段アニメなんてあまり見ないものだからこの難解な物語を一回見ただけじゃ何も理解することはできなくて他解説サイト様を見て、ようやくなるほど~ってなるくらいでした。それでも少し思うものがあったのでこの感想を残すことにしました。筋違いなところばっかりな稚拙な感想だけど許してね。あとネタバレ注意です。

 

---以下、感想---

みなさんは「笑う、わらわぅ」という作品をご存知かしら。

笑う、わらわぅは、「タオルケットをもう一度」シリーズで有名なかなしみホッチキス氏によって制作されたフリーゲームである。私も氏の作品の中では1,2番に好きなタイトルです。

と、いきなり他作品の話をして申し訳ないが、この「笑う、わらわぅ」と「少女革命ウテナ」には非常に共通点が多い(気がする)。今回はまずそれをリストアップします。(どっちもお話が難解すぎるってのは含みません)

あ、わらわぅのネタバレも満載です。

 

少女革命ウテナ」と「笑う、わらわぅ」における共通点

  • カキワリのような背景
  • 不条理な世界
  • ウテナもわらわぅも悲劇の中にいる
  • たびたび王子様というワードが出るが、王子様は現実には存在しない

 

1, 2番目の共通点である「カキワリのような背景」と「不条理な世界」は、舞台装置として虚構があり、虚構によって物語が構築されていることを示している。

少女革命ウテナにとって虚構とは、王子、決闘広場、空に浮かぶ城であり、最終盤のプラネタリウムが暴くとおりである。さらには鳳学園や魅力的な登場人物たち... ウテナやアンシーまでも虚構である。もちろん私たち視聴者にとってはアニメ作品はみなすべて虚構のお話であるのだが... 少女革命ウテナでは虚構の中に虚構が内包している入れ子構造となっている点も注意したい。

では現実はいかにして表現されているか。それは権力、財力、ルックス、知性、運動能力、話術など、現実世界において価値があるとされるものすべてを併せ持つ鳳暁生その人である。といっても、鳳暁生(世界の果て)は虚構の中の現実であり、ウテナにとっての現実のシンボルにすぎない。虚構の中に存在する現実はもちろん虚構である。我々の住む現実もいわば虚構のうちなのかもしれない、ってのはSFとかによく出てくるテーマですね。

中国の有名なお話に胡蝶の夢というものがある。夢の中で蝶としてひらひらと飛んでいたところ目を覚ましたが、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか、という話である。つまり現実と虚構の間に絶対的な境界線はなく、すべては夢であり、現実であるということである。

話はちょっと戻って、現実の象徴である鳳暁生にウテナは一時的に強く焦がれる。しかし先程も述べた通り、現実は夢であり、虚構なのである。そこに絶対的な価値というものは存在しない。

ではウテナは何に価値を見出すか。作中で薔薇の王子様は奇跡や永遠、光といったものとされる。しかし実際には王子様といった理想は存在しない。"王子様"は虚構である。同じく王子様の格好をする"ウテナ"も虚構である。物語の最終盤、虚構の存在であるウテナは、そこに永遠があるという薔薇の門を開ける。そこには、かつて悲しみにくれる少女であった自分が閉じ込められていた柩があった。柩を開けるウテナ。中には同じく虚構の存在であるアンシーがいた。アンシーとは、かつて悲しみに囚われて生きることができなくなったウテナがその苦しみと悲しみを忘れるために封印した自分自身である。ウテナは苦しみと悲しみを忘れた純粋な理想として、アンシーは苦しみと悲しみを一身に背負い、それぞれ虚構の中で生きていた。そして、物語の果てにウテナは柩を開けたのだった。

タイトルの少女革命とは。作中では繰り返し、革命という言葉が出てくる。世界とは自分自身であり、世界の殻とは自分自身の殻であり、世界を革命するとは、自分自身を超克せしめんとすることなのである。少女革命ウテナとは、ひとりの少女が虚構の世界と現実の世界を超えて、さらには自分自身を超克する物語なのである。

 

 

わらわぅの話をするのを忘れていた。

わらわぅも虚構の中で生きている。現実のわらわぅは植物人間状態である(その点ではウテナと同じ悲劇の少女であるが...)。そのため、ママぷっちから教えてもらったお話の世界と、そこから自分が派生させたお話の世界を意識の棲家として生きていた。ママぷっちはあまり頭がよくないため、いつも同じようなお話ばかり聞かせてくる。わらわぅもすでに高校生といった年齢なのに、わらわぅをモチーフにしたお姫様と、それを救ってくれる王子様といった構成の話ばかりである。それだけだとさすがに飽きるのか、わらわぅはママのお話を派生させて新しいお話(虚構)の世界を次々に創造していった。自らが生み出した虚構の世界も一時的には良い退屈しのぎとなっていたが、現実では植物人間の身である。いつも変わらない部屋に、いつも変わらないママのお話。そして無限の時間。お話とは自分の外から何か刺激を受けて作り出されることが多いという。同じくわらわぅも新たな刺激というものがないと、虚構の世界を新たに生み出して、維持するのは難しいのであろう。そういった状況でいつも同じ虚構の世界の中で遊ぶのにも限界がある。わらわぅは次第に虚構の世界に飽きてきたのだった。そして溜まりに溜まったフラストレーションは虚構の世界に破壊をもたらす(この破壊行為も会話から察するに一度や二度のことではなさそう。次第に破壊が起きる周期が短くなっているとも)。そうして破壊しては創造してを繰り返し、少しずつボロボロに錆びていく思考の中で、わらわぅはいつか寝たきりの自分が、蛹が蝶に羽化するように、元気に飛び回れるようになる夢を願い続けるのであった。完。

ってところで「笑う、わらわぅ」は完結する。えーそれじゃあんまりだよーってかなお氏に訴えたくなるが、作中でたった一つだけ希望が描写されている。それは現実世界でママぷっちがお部屋から出ようとした時に、わらわぅの寝てるベッドの横にある棚から、お人形のにゃにゃも様が落ちるシーン。にゃにゃも様は虚構の世界の中では、常に高慢な態度をとっているがわらわぅが困っている時は必ず助けてくれるという位置づけをされたキャラクターだった。

 

 

といった具合で、想定では両作品の共通点を比較して書くぞーって感じだったんだけど、どちらも難解でちょっとおつむが足りませんでした。しかしながら、どちらも非常にいい作品です。虚構の中に生きる少女たちとその結末って感じで対比してみると面白いかもです。尻切れトンボかつネタバレ全開で書いたけども、もしどちらかの触れたことがない作品に興味をもったらぜひプレイしてみてほしいです。